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2010年3月17日 (水)

朝日新聞多摩版 2010年3月16日 三鷹の戦跡たどる(フィールドワーク)

三鷹の戦跡たどる

 太平洋戦争末期の三鷹市で、空襲で多数の犠牲者が出た4月2日を前に、市内の戦争遺跡をめぐる講座が21と23の両日に開かれる。調布飛行場などを守るため米軍機と交戦した高射砲陣地跡や軍用機を空襲から守る格納庫・掩体壕(えんたいごう)のほか、旧中島飛行機の研究所跡地に建つ大学など「飛行機工場の町」の痕跡を訪ねるフィールドワークがある。(佐藤清孝)

 戦前の三鷹は、航空機産業を担う軍需工場の町として発展した。航空機用無線機のトップメーカー・日本無線や中央航空研究所などが次々に建設され、1940年に約2万1千人だった人口は終戦時の45年には約4万人に倍増した。

 軍需工場の中でも、調布飛行場と関係の深い中島飛行機三鷹研究所は大沢地区の200ヘクタール近い土地を買収して建てられた。米本土爆撃を目的にした超大型爆撃機「富嶽(ふ・がく)」のエンジンを設計し、特攻機として使われる予定だった「剣(つるぎ)」の開発を進めた。

 一方、45年に入ると三鷹市でも空襲が激化。2月17日に米軍の艦載機が同研究所に襲来し、防空壕がつぶれ、工員4人が犠牲になった。4月2日には下連雀2丁目で29人が死亡した。

 講座は、教育研究機関や市などによるNPO法人が運営する「三鷹ネットワーク大学」の三鷹「通」養成講座の一環だ。

 講師を務める高柳昌久さん(43)は同研究所跡地の一部に建つ国際基督教大学(ICU)高校の教諭で、「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の幹事。研究所について関係者の聞き取り調査を進め、その成果を05年に共著で戦争遺跡のガイドブック「戦争の記憶を武蔵野にたずねて」(ぶんしん出版)として出した。

 フィールドワークではまず、保育園「椎(しい)の実子供の家」に残る高射砲陣地の台座跡4台を見学する。戦況が悪化する43年、首都防衛を目的に調布飛行場を一望できる高台に6門が設置された。45年2月17日、米軍艦載機の攻撃で兵士4人が戦死した場所だ。

 この後、同飛行場の門柱や旧特攻隊宿舎跡、府中と調布市にもまたがる都立武蔵野の森公園で保存・公開されている2基の掩体壕を見学。最後に、中島飛行機の創立者・中島知久平が住んだICU敷地内の別荘「泰山荘」や、同研究所の設計本館を改装したICU本館も訪ねる。

 23日には、午後7時から高柳さんが「飛行機工場の町 三鷹」と題して講演する。高柳さんは「戦争という国家総動員体制の中で三鷹がどんな影響を受けたのか、それを知ることで今の三鷹を見直す手がかりになれば」と話している。

 21日は午後0時半、三鷹駅近くのネットワーク大学集合。先着30人(2回の通し受講のみ、市外も可)。500円(別途バス代必要)。問い合わせは同大学(0422・40・0313)へ。

 朝日新聞多摩版 2010年3月16日 
 http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000001003160001
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