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2010年3月17日 (水)

山陽新聞 2010年3月15日 防空壕跡の調査開始 尾道・因島空襲を考える会

防空壕跡の調査開始 尾道・因島空襲を考える会

20100315
ホテル「ナティーク城山」の下にある防空壕跡を調査する中村さん(左)と青木さん

 第2次世界大戦末期の「因島空襲」を調べている尾道市因島の住民が、被災した造船所のあった島南部などに残る防空壕(ごう)跡の位置や現状の調査を始めた。7月28日の空襲の日に合わせ、報告会や防空壕跡前で鎮魂のコンサートを計画している。

 調査に取り組む「因島空襲を考える会」の青木忠さん(65)=同市因島椋浦町=と中村公巳(ひろみ)さん(68)=同市因島田熊町=は、「戦後65年を迎え、記憶の風化が懸念される。戦争遺跡として記録を残したい」と話す。

 今月4日、同市因島土生町のホテル「ナティーク城山」が立つ山にある防空壕跡を現地調査。14カ所あったとされる防空壕の出入り口のうち、コンクリートなどでふさがれずに、倉庫として使われている防空壕跡に入った。2カ所の出入り口でつながり、戦争当時からあったと思われる石やれんが積みの壁などを確認した。

 今後は住民からの聞き取りや、因島三庄町などに多く残る防空壕跡を訪ねる。

 因島空襲は1945年3月19日と7月28日、米軍機が造船所を中心に攻撃し、100人以上が亡くなったとされるが、記録や資料が少なく一般に知られていない。最近の調査で、7月28日は造船所に停泊中の貨物船など4隻が被災、船員17人が死亡したことが分かった。(以下、Webには未掲載)

 山陽新聞 2010年3月15日
 http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010031509350441/ 
 (リンクは無効になっている場合があります)

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